「日本国万歳!」の深い含意

半世紀前の「普天間閉鎖」構想

 沖縄は5月15日、本土復帰記念日を迎える。ほぼ半世紀前、日本武道館で開かれた復帰記念式典で佐藤栄作首相は最後に「日本国万歳!天皇陛下万歳!」と音頭を取った。作家の大岡昇平は「『沖縄万歳』ではなく『天皇陛下万歳』を唱う。呆れた国なり」と評したという。当時、「沖縄が日本に復帰したのだから『日本国、天皇陛下』でいいのだ」という言説もあったが、いま映像で振り返っても、確かに違和感の残るシーンではある。

 沖縄が本土に復帰した1972年当時、沖縄本島には約2万8000haの米軍専用施設があった。半世紀を経た現在は約1万8000haだから3割以上も減ったことになる。これも歴代政権による対米折衝の成果と言いたいところだが、その中身をみるとどうもおかしい。駐留する軍人・軍属・家族数は復帰当時が4万2000人。米軍はここ数年、最新の数字を公表していないが、沖縄県によると米国防総省系のデータでは2019年時点で5万7000人という数字がある。いずれにせよ施設面積が減った割に駐留人員が減っていないことは確かだ。

 このナゾはもう1つのデータと照合するとぼんやり正体が見えてくる。72年当時、日本全体の米軍専用施設に占めていた沖縄の割合は58.7%。これが半世紀後の現在は70.6%に跳ね上がっている。つまり3つのデータからは、米軍が沖縄を含めた日本全体で米軍基地の整理・縮小を進めながら、基地の重点を本土から沖縄にシフトさせていたことがうかがえる。果たしてそこにはどんな背景があったのか。

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