パンデミックの記憶と教訓は 早々に消えて行くらしいが

 今回の新型コロナウイルスの世界的な感染拡大=パンデミックが始まってから、何度も参考にした書籍がある。アメリカの歴史学者、アルフレッド・W・クロスビーの“Epidemic and Peace,1918”(1976年、邦訳「史上最悪のパンデミック」西村秀一訳)である。

 1918~20年に世界で広がり、数千万から1億人を超える犠牲者を出したといわれる「スペイン風邪」の経過と社会状況を克明に追った歴史的大著だ。驚くべきことに、このタイトルは1989年に、著者自身の手によって改題される。“America’s Forgotten Pandemic”、つまり「忘れられたパンデミック」である。

 本書によればアメリカ自体、約50万人の死者を出した大惨事であるにもかかわらず、その後のアメリカ社会に、その被害ほどの「深刻さ」をもって記憶されて行かなかったというのである。確かに、この件については、マクロ的視点で捉えられた研究書ということでは、この本ぐらいしかないが、それは同じ20世紀前半に、同規模の世界的犠牲者を出した惨劇である両世界大戦に対して、研究書がそれこそ星の数ほどあることに比べれば、異様なまでの関心の低さである。

 グロスビーはこの「忘却」を、「スペイン風邪」が、「やってきたかと思うとあっという間に広まり、経済に束の間の影響をもたらしただけで、ほとんどの人がその本当の危険性を十分に認識する間もなく去ってしまった。インフルエンザの流行の常である罹患率と死亡率の大きな開きも、犠牲者となる可能性のあった人々をおとなしくさせる方向に働いていた」ことによるものとみている。

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