未来の姿を追うフクシマ 五輪よりなによりも本当の復興あればこそ

🔸消えた「思い出の品展示場」

 復興の過程で、町の風景も変わってきた。最悪の原子力災害を被った1つ、大熊町の「大野駅」。昨年春に全面開通したJR常磐線の特急列車も止まる。その人っ子ひとりいない駅構内の入口に放射能測定器と共に太陽光パ
ネルが設置されている(写真1)。2つの機器は「過去・現在・未来」を象徴しているようだ。10年前に原子力災害に見舞われ、今なおその影響は続くが、未来は原子力に代わる自然エネルギーで町づくりを実現する意思が窺
える。

(写真1)大熊町JR大野町駅前画像1

 ようやく復興が本格的に始まった浪江町。双葉町に設立された伝承館とは対照的に、もう1つの伝承施設が今年3月21日、避難住民らに惜しまれながら閉鎖された。

 津波に流されたり、原発事故の大混乱で“身内”から引き離された家財類や大切な私物を展示した「思い出の品展示場」。3.11の3年後の14年7月にオープンした。仏像や観音像、恵比須像などが慈悲深い、あるいは朗らかな表情で数多く並んで来訪者の胸を打った。甲子園でも活躍した野球少年たちのユニフォームやボールも展示され(写真2)、親世代の人たちの涙を誘った。

(写真2)少年ユニフォームも展示する「思い出の品展示場」画像2

 筆者は毎年のようにここを訪れたが、今回同行した支援ボランティアの友人が数年前に絵に描いた観音像が見つからない。持ち主がようやく最近になって現れ、引き取ったようだった。

 展示場に並べられた数千点に上る「思い出の品」展は、閉鎖の後浪江町役場に運ばれ処分される。被災者の記憶は、この処分と同時におそらく永遠に失われるだろう。

ここから先は

4,944字 / 1画像
この記事のみ ¥ 200