10年10カ月で都構想挑戦劇は幕 地域発の分権型発展シナリオは日本を変えるか 「大阪モデル」の実験は緒についたばかりだ

都構想再挑戦まで辞められなくなった松井
菅の一言で辞意撤回して続投を決意

 大阪都構想をめぐる1回目の住民投票での敗北以来、低迷を続けていた日本維新の会が、2018年11月23日の国際博覧会(25年開催の大阪・関西万博)の誘致成功で息を吹き返した。1カ月余が過ぎた12月28日の夜、党代表の松井一郎(当時は大阪府知事。現大阪市長)と前代表の橋下徹(元大阪府知事)は、官房長官だった菅義偉(現首相)と東京で会食した。

 当時の安倍晋三首相を含む4人の年末の夕食会は第2次安倍内閣発足後の13年から始まった。衆院選が行われた翌14年を除き、毎年、暮れの恒例行事となった。

 18年は3人が集まった。安倍の不参加は、大阪都構想をめぐって維新と対立関係にある自民党大阪府連に配慮したためといわれた。

 12月28日、松井は菅に向かってこんな言葉を口にする。松井が回顧した。

 「都構想の2回目の住民投票は実施前でしたが、万博誘致が決まり、自分が掲げてきた公約は、もう到達は無理と思いました。それで菅さんに、『僕は政治家として都構想以外はほぼやり切ったので、知事の任期が終わる19年12月で辞めて、政治家として1回、終了します』と言いました。そしたら、菅さんから『万博の誘致をここまで一緒にやってきたじゃないか。おれ、大阪のことでものすごく協力してきたよね。それは君が政治家として本気で大阪を変えたいという思いを持っていたから。その気持ちでここまで来ているのに途中で辞めると言うのか』と言われました」

 後に20年11月、2回目の住民投票が否決となった直後の記者会見で「市長任期満了の23年4月で政界引退」と明言する松井は、その2年前にも一度、早期引退に大きく傾いていたのである。結党以前からの盟友である政調会長の浅田均は後日、松井から菅との会話の場面を聞いた。笑いながら明かす。

 「松井さんは『一緒にいたのに、橋下さんは何も発言しなかった。あんな大事なときに何も言わん』と怒っていましたけど」

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