公明党の方針転換で住民投票実施へ 「民意に強い維新」も崩せなかった反対の壁 都構想の牽引役の橋下は政界引退を実行

区割り案をめぐって他党と対立
公明党の背反で出直し市長選実施を決断

 2014年9月、維新の党が発足した。旧日本維新の会から石原慎太郎(元東京都知事)のグループが分党した後の残留組と、江田憲司(現立憲民主党代表代行)が率いる結いの党との合体による新党結成であった。共同代表に大阪市長だった橋下徹と江田が就任した。

 3カ月後の12月、安倍晋三首相の下で衆院選が行われた。維新の党は、「大敗」の事前予想を覆し、1議席減で踏みとどまったが、橋下は選挙後、党の執行役員会で申し出る。

 「大阪都構想の実現に全力を傾注したいので、半年くらい代表を休ませてほしい」

 自分から共同代表の座を降りた。幹事長だった松井一郎大阪府知事(現大阪市長)も一緒に辞任した。橋下、松井ら維新の大阪組は自ら「1丁目1番地」と位置づける都構想の実現に向けて一直線で突き進むことになる。

 府知事時代、橋下が大阪都構想を打ち出したのは10年1月だった。4月、知事の要請に基づいて府庁に大阪府自治制度研究会が設置された。11年1月、議論のたたき台となる骨格案を取りまとめて橋下に報告する。11月の大阪市長・府知事のダブル選挙で、橋下が市長に、後任知事に松井が当選し、12月に大阪府市統合本部が新設された。

 12年8月、大都市での特別区の設置を可能にする大都市法が国会で可決・成立する。13年4月、都構想実現に向けた作業を大阪府・市が共同で担う府市大都市局が大阪市に設けられた。府と市の職員が51対49という割合で構成する組織だった。

 大都市法に基づいて設置された法定協議会(特別区設置に向けた大都市制度協議会)は、13年2月から、都構想の中身について本格協議を開始した。ところが、区割り案の絞り込みをめぐって、維新とほかの各党が対立し、議
論が紛糾した。

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