橋下引退の直前に維新の党分裂 「小さな政府」勢力を糾合、第2極を模索 「ゆ党」か「隠れ与党」か、冬の時代が続く

🔻橋下抜き・「松井・吉村体制」が始動
  維新の党の分裂劇が同時進行

 橋下徹(元大阪市長・元大阪府知事。現弁護士)が政界から退場したのは、5年半前の2015年12月であった。「不成立なら引退」と公言して臨んだ5月の大阪都構想の住民投票(第1回)で敗北を喫し、前言どおり、12月の市長任期満了で市長選に出馬せず、おおさか維新の会(16年8月に日本維新の会に党名変更)の代表も辞任して、引退を実行した。

 住民投票否決の後、党の浮沈が注目を集めていた維新の党で、橋下引退の3カ月前の9月に党内対立が表面化した。維新の党は14年9月、橋下、松井一郎(現大阪市長。日本維新の会代表)ら大阪組と、江田憲司(現立憲民主党代表代行)が率いる結いの党が合体して生まれた新党だった。内紛は大阪組と非大阪系グループとの摩擦が原因である。維新の党の国会対策委員長だった大阪組の馬場伸幸(現日本維新の会幹事長)が回想した。

 「15年の9月、柿沢未途幹事長(現衆議院議員。無所属)が党の意向を無視した形で山形市長選挙の応援に出掛けた。ですが、この問題は引き金で、内部での路線や考え方の違いが対立の主因でした。問題になっていた労働者派遣法の改正で、党の幹部は、とにかく『反対』と言う。安全保障関連法案では、なぜか対案がなかなか出てこなかった。路線が違うかなと思い始めた。是是非非路線を貫くわれわれのスタンスが理解されていないと分かってきたのです」

 不協和音は住民投票の際、都構想最重視の大阪組と、野党結集路線で民主党との連携や合流を目指す非大阪系が、将来の政界再編構想で食い違ったのが最大の要因だった。両陣営とも修復困難と判断し、「協議離婚」を目指して話し合いによる円満分党を模索した。

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