「冷めたピザ」と揶揄されても「戦後懸案」を一掃「やりすぎ人生」が命を縮めた小渕恵三

どん底から、短期で絶頂に到達した後
一転して予期せぬ退場・終演という大波乱

 岸田文雄首相は就任直後、「手本にしているのは小渕恵三元首相では」といわれた。小渕は1998年7月の政権到達時、前任の橋本龍太郎元首相との比較で「人気の橋本、人柄の小渕」と評された。一方、岸田の人物像について、安倍晋三元首相に生前、質問したら、長所として「絶対に人の悪口を言わない人柄のよさ」を挙げた。

 ほかに両者には「出発は低空飛行、しり上がりの浮揚」という共通項もある。時事通信の世論調査で、小渕は98年8月の内閣支持率は24.8%だったが、99年10月に47.6%に達した。岸田も21年10月に40.3%でスタートし、22年4月に52.6%を記録した。違いは、岸田の場合、5カ月後から低落が始まり、10~12月は30%未満と低迷している点だ。

 小渕は首相の前、官房長官、自民党の幹事長、副総裁、外相を歴任していたが、登場時の評価は最低水準だった。「凡人」「無力・無能・無策」とからかわれ、「冷めたピザ」と悪評を浴びた。自ら「ボキャ貧」と称したように、発信力不足という自覚もあった。

 政権発足は97年秋の大型金融危機の8カ月後で、経済も最悪の状態だった。日経平均株価は97年7月に2万円台を維持していたが、98年10月には1万2000円台に下落した。

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