返還されたのは「沖縄」でなく「領土」だった

「核」より「基地」にこだわった沖縄民意

 1967年6月、沖縄の地元紙・琉球新報は当時としては異例の全島世論調査を実施した。「沖縄の祖国復帰が実現しない限り戦後は終わらない」と述べた65年8月の佐藤栄作首相の沖縄訪問から約2年。11月には日米首脳会談を控え、米国が交渉に応じるのか、返還される場合の条件とは何なのかが大きな焦点となっていた時期だ。

 調査は無作為抽出の1500人が対象で回答率は70.9%。返還の際の基地の在り方をめぐる問いでは「米軍基地を一切撤去」が24.6%、「本土並みの基地に縮小」が15.8%で、「原水爆(核)だけ撤去」は12.9%、「基地は現状のまま」が11.6%だった。大雑把に言えば、4割が基地の縮小、撤去を求め、基地自体の縮小にこだわらなかったのは2割強ということになる。「分からない」との回答が34・1 %を占めたが、これは「早期返還を実現するには次のどれがよいか」という設問の仕方に戸惑いがあったのだろう。

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