「半年でもいいから」と71歳でやっと政権到達 命取りの一言を自ら公言した福田赳夫の失敗

権力闘争では敗北の連続の「敗軍の将」
在任2年で不完全燃焼のまま退陣

 岸田文雄首相は昨年9月の自民党総裁選を制して政権を握ったが、決め手となったのは党内最大派閥の清和政策研究会(現安倍派)の支持であった。安倍晋三元首相は岸田内閣誕生の「キングメーカー」と称された。

 現安倍派の出発点は1970年11月発足の福田派である。後の首相の福田赳夫が創設した。

 首相の座は、福田が70年代後半に2年間、手にしたが、その後は2000年就任の森まで21年余、巡ってこなかった。72年の田中角栄首相登場以後、田中派とその流れの竹下派(トップは竹下登元首相)が最大派閥としてパワーを発揮し、「田中支配」「竹下派支配」といわれた時代が長く続いたからだ。

 92年の竹下派分裂で、当時の三塚派(トップは三塚博元財務相)が初めて最大派閥に躍り出た。97年に小渕派(トップは小渕恵三元首相)に抜かれたが、小泉純一郎首相が行った2005年の衆院選の後、森派(トップは森喜朗元首相)が最大派閥に返り咲く。以来、現在までの約17年は最大派閥の座を守り続け、首相も森の後、小泉、第1次の安倍、福田康夫、第2次の安倍の計4代を輩出した。

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