求めたのは良妻賢母像も貫く男女平等 女子教育の先駆者、薩摩藩士「森有礼」

廃刀論で辞職するも外交官として活躍

 「日本が生んだ西洋人」と伊藤博文に評された森有礼(1847~1889年)は、時代の先の先を行く開明的な人だった。

 幕末に薩摩藩から渡英。明治政府にあっては米・英・中国で外交官として活躍。士農工商と軽視されてきた経済を重視。そして「教育だけが国家を進展させる」と教育事業に注力し、とりわけ男女平等思想を実践し、女子教育の普及に努め、41年の生涯を駆け抜けた。

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