資質と才腕が輝きを失わず「神話」にまで 「情」に負けて墓穴を掘る田中角栄の失敗(上)

「今太閤」「庶民派宰相」が2年5カ月で沈没
刑事被告人の「闇将軍」として8年半

 2022年は田中角栄元首相が政権の座を手にして50年となる。田中は1972年7月、佐藤栄作元首相の後継を選ぶ自民党総裁選で福田赳夫(後に首相)、大平正芳(同)、三木武夫(同)を破って54歳で政権に到達した。

 元田中秘書の麓邦明は東京大学を卒業して共同通信の政治部記者となり、取材で田中と知り合った。能力を高く評価した田中は三顧の礼で秘書に迎える。田中内閣発足の前、政権構想となる日本列島改造論の下敷きの「都市政策大綱」をまとめ上げた。麓は田中首相登場について、こんな点を強調した。

 「無学歴で総理になったというのは、言ってみればエスタブリッシュメントへの侵略です。戦後政治というよりも、明治維新以来、初めての出来事でしょう。だから、必ず『田中神話』がよみがえる」

 高等小学校卒でたたき上げの野人派の田中は首相就任時、「今太閤」「庶民派宰相」と持てはやされた。登場直後の内閣支持率は過去最高だったが、政権は長持ちせず、在任2年5カ月で終わった。退陣から1年7カ月後の76年7月、ロッキード事件で東京地方検察庁に逮捕された。刑事被告人となった後も、自民党内の最大派閥を率いて「闇将軍」としてパワーを発揮し続けたが、85年2月、脳梗塞で倒れて政治の現場から姿を消した。90年2月の衆院選で出馬を見送って政界を引退する。93年12月に75歳で生涯を終えた。

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