日本維新の会は再び輝くことができるか 純化路線に転換し、「野党第1 党」を叫ぶ 多弱打破「新型野党」の牽引力のカギは「人」

2度の都構想否決で命運尽きたか
「日本大改革プラン」で捲土重来狙う

 「自民党政権には明らかに緩み、たるみ、おごりが見られる。一方、野党は政治信条などを横に置いて数合わせをしている。われわれは政策で勝負し、政権をぴりっとさせる。現政権に代わる選択肢となる政策を示し、野党第1党を目指す」

 日本維新の会の松井一郎代表(大阪市長。前大阪府知事)が党大会で表明した。

 菅義偉首相が訪米してアメリカのジョー・バイデン大統領と初の日米首脳会談を行った2021年4月17日、日本維新の会が大阪市内で党大会を開いた。20年は新型コロナウイルスの襲来で開催を見送ったため、2年ぶりである。21年大会は党役員が会場に集まり、地方議員とはオンラインで結ぶ方式を採用した。

 維新の結党は、前身の大阪維新の会が旗揚げした10年4月19日であった。代表として党を率いたのは、その1年半前の08年2月から大阪府知事を務める橋下徹(弁護士。後に大阪市長)である。

 全国的な「橋下人気」を武器に、維新は急成長を遂げた。11年11月、橋下と松井が同日選の大阪市長選挙と大阪府知事選挙を制する。維新は大阪で府と市の両方の行政を握った。日本維新の会(旧)を名乗って初めて国政選挙に挑んだ12年12月の衆院選では54議席を獲得し、野党第2党に躍り出た。

 なのに、党の「1丁目1番地」と位置づける大阪都構想の住民投票でつまずいた。15年5月に僅差で否決となる。7カ月後の12月に大看板の橋下が政界引退を実行した。

 その後、約3年、迷走と停滞が続いたが、18年11月、維新が旗を振る国際博覧会(2025年大阪・関西万博)の誘致成功で息を吹き返した。19年4月の統一地方選挙で、大阪府知事と大阪市長が入れ替わる「ダブル・クロス選挙」を仕掛けて、吉村洋文(前大阪市長。現日本維新の会副代表)の府知事当選と松井の大阪市長当選を達成した。

 それでも、都構想の壁は高かった。20年11月に住民投票に再挑戦したが、今度も否決・廃案となった。これで維新も命運が尽きたと見た人は多かった。

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