第3回 岸田文雄首相に大きな影響を残す 経済宰相・宮澤喜一の「3つの大きな失敗」

ケイジアンで「政界有数の政策通」
「保守本流のエース」と呼ばれた人物

 10月31日の衆院選で、自民党が単独過半数の維持に成功し、岸田文雄首相は続投を果たして第2次内閣を発足させた。

 池田勇人元首相が創設した派閥・宏池会の会長だった岸田は、池田、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一に続く5人目の宏池会首相である(流れをくむ麻生太郎現副総裁を含めると6人目)。宏池会首相による衆院選は宮澤内閣での1993年7月以来、28年ぶりであった。

 宮澤は91年11月に首相となった。93年6月に野党提出の内閣不信任案が可決したため、衆議院を解散した。自民党は選挙前と比べて1議席増だったが、選挙直前の大量離党で過半数割れとなる。宮澤は退陣に追い込まれ、自民党は初めて野党に転落した。

 くしくも岸田は、この総選挙が政治家としての出発点だった。中選挙区制の旧広島1区から自民党公認で初めて出馬し、一発で当選する。宏池会(当時は宮澤派)に入った。

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