与党第1党の党首ながら首相の座を逃す河野洋平、「のるかそるか」の局面での逡巡

ロッキード事件遭遇で新自由クラブ結党
復党後は宮沢喜一にほれ込み宏池会へ

 岸田文雄首相は自民党で約65年の歴史を持つ名門派閥の宏池会のトップである。1955年の結党以後、自民党の首相は計24人だが、岸田は池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一に次いで5人目の「宏池会首相」だ。

 24人以外に首相にならなかった自民党総裁が2人いる。河野洋平(後に衆議院議長)と谷垣禎一(元財務相。後に幹事長)で、くしくも共に宏池会の出身だった。

 谷垣は3年の在任の間、ずっと民主党政権だったため、野党の総裁で終わった。河野は細川護煕首相と羽田孜首相の非自民連立政権の約11カ月は野党の総裁だったが、次の村山富市内閣では与党第1党の党首であった。

 河野は94年6月、ポスト羽田の場面で、社会党委員長の村山、新党さきがけの武村正義代表(元官房長官。後に蔵相)とともに自社さ連立政権を生み出した。自民党総裁のまま、副総理兼外相で入閣した。

 もし途中で村山辞任となれば、河野の後継首相就任は確実という情勢だったが、実際はそんな展開にはならなかった。96年1月に村山の後任となったのは、河野の次の総裁の橋本龍太郎だった。

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