沖縄を分断する「もう一つの辺野古」

半世紀の停滞

 1972年5月の沖縄の本土復帰に当たって、日本政府は「復帰」を象徴する米軍基地・施設の返還を米側に要請した。都市部にあって、沖縄の人々が本土復帰を実感できることが条件だった。日本が求めたのが那覇空港、牧港米軍住宅地、与儀貯油施設、それに那覇軍港だった。

 このうち72年5月の最終リストに残ったのは前三施設。那覇軍港は代替地が必要との理由から先送りされた。那覇軍港の返還が日米間で正式合意されたのは74年だ。その後一部の港湾施設が返ってきたものの主要部は移設先選びが難航し、長く放置されたまま。そして半世紀を経てもなお全面返還に至らず今日に至っている。

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